季節の旅へ

ブナ・ココダ・クムシ川

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ブナ

ブナには司令部が置かれていました。この地区にはバサブア、ギルワ、ブナの日本軍三拠点が約5キロ間隔で陣地を構えていて総称して「ブナ地区」と呼んでいました。フィリピンから「I shall return」の名言を残してオーストラリアに居たマッカーサーは反撃の機会をうかがっていました。その時がついにやって来たのです。マッカーサーは北上の足がかりとなる巨大基地を造る計画に着手しました。フィリピン再上陸の夢を叶える時です。マッカーサーはブナに大量の米軍を投入しました。補給の尽きた日本軍はどうする事も出来ませんでした。 昭和18年、正月明けの1月2日、ブナは司令部と共に玉砕しました。マッカーサーの部隊も簡単にブナを陥落できた訳ではありません。(写真はブナへの道路)


ブナの日本軍守備隊は最後まで戦い抜きました。米軍の間ではこの「ブナの戦闘」は良く知られているそうです。米軍も数年前に「米軍の碑」を建てています。オーストラリアも碑を建立し、旧日本軍と連合軍との間の壮絶な戦闘であった事を、今に伝えています。右の写真はブナの海岸近くにある旧日本軍の碑です。司令部はこの近くにあったそうです。


左の写真は今のブナ海岸です。波打ち際のすぐ近くにこの辺りでは一番大きなブナの集落があります。旧日本軍の滑走路はその集落に隣接してありました。高射砲の残骸が高い長葉の植物に囲まれているのを数機見ることができます。また、ジャングルに入れば航空機エンジン部分の残骸、ドラム缶に砂を積めて盾とした弾痕で蜂の巣状態になった防護缶が樹木に埋もれているのを見ることが出来ます。


昭和18年3月末にもなるとブナ地区は巨大な後方支援基地へと変貌を遂げました。病院、靴屋、美容院、パン工場まであり、十数万人の都市が出現したのです。「デュブデュラ-東京」の道・油断禁物・ルーズベルトと記された看板もあって戦士を意志向上に一役かっていました。ここを足がかりに連合軍は北上しました。マッカーサーは再びフィリピンに上陸することに成功しました。右の写真は現在のデュブデュラ飛行場の跡です。離陸に失敗した貨物機が残骸となっています。かつてのこの滑走路は、道路の一部として今も利用されています。マッカーサーも飛行場が出来た後、ここを訪れています。昭和18年から約80年の歳月が流れた姿です。

ココダ

昭和17年7月29日・南海支隊は全力を上げてココダに陣を張る豪州軍を打破しました。そして、日本軍はポートモレスビーを目指しました。しかし、将兵を待ち受けていたものは厳しい自然と過酷な地形・疾病と飢えでした。ポートモレスビーまであとわずかとなりながらも転進を命令された南海支隊はこの地に退却して11月3日、ココダは再び豪軍の手中の地となりました。前方の道がココダ街道でポートモレスビーへと続いています。今ではおよそ一週間でココダ街道を徒歩にて横断するツアーもあります。


ココダには日本軍の碑とともに豪軍の碑や展示館も整備されています。右の写真は戦友会の建立した碑です。砲もありますが、ゴラリで砲と共に自決した少将の物だと説明されています。


左の写真の中に、オーストラリア政府の碑もあります。オーストラリア軍にとっても激しい戦闘であった事が解ります。オーストラリアの戦争記念の日に時の首相が来て慰霊祭が行われました。その時の首相はこの碑の前にひざまづいて大地に接吻をして哀悼の意を表したとの事です。ココダの記念碑のある場所は台地の公園になっていて、良く整備されています。近くには小型飛行機が離発着出来るココダ空港があります。写真のヤシの木ではありませんが、今も幹に弾痕が沢山残るヤシの木が残っています(2016年現在)。


クムシ川

ポポンデッタからココダへの道中・第一の大河がクムシ川です。かつて、日本の将兵はこの川を行きと帰りとで2度渡りました。堀井南海支隊長はギルワ(川下)方向で激しい戦闘音を聞き自ら指揮を取る為、増水していたこのクムシ川をカヌーで下りました。撤退する日本兵は、ボロボロの軍服を身にまとい、ある者は靴もなく素足でこの川を渡ったそうです。60年余りも前の戦闘がまるで嘘だったかのように今では静かに流れています。全長およそ250km(推測)のクムシ川です。右の写真はクムシ川での慰霊祭の様子です。上流がオーエンスタンレー山系で、今も多くの日本兵の英霊がそのまま残されていると言われています。ココダへの道・行きはそれほど抵抗もなく進んで行きましたが、退却する時はオーストラリア軍の激しい追撃に各地で多くの犠牲者が出ました。

バリイベ(ワージュ)

左の写真は「バリイベ」と呼ばれる集落です。日本人の慰霊団が行くと伝統的な衣装を着けて「オロ・オロ」と叫びながら歓迎をしてくれます。今の呼び名は「ワージュ」。ココダからブナ地区に撤退する日本軍とオーストラリア軍との間で激しい戦闘があり、多くの南海支隊の将兵が犠牲になった場所です。日本の兵隊が自ら穴を掘って、身を隠して敵を迎え撃つ、所謂「タコつぼ」が地主によって維持されています。

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