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ラバウル・ウエワク

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ラバウル

かつては「南太平洋の宝石」と呼ばれ、世界中の旅行客で賑わいました。天然の良港が開け、古くから海外との交流が盛んで、ヤシとカカオの農園が経済の中心となっています。第一次大戦まではドイツの統治下にあり、整然とした街並みが建設されました。1942年には日本軍が占領し、ニューギニア本島への戦略の拠点となって10万人を超える日本兵が滞在していました。1994年に火山が爆発して多大な被害が出ましたがかなり復興が進んでいます。政府の機関や主な会社はココポに移されました。


右の写真はラバウルにある日本国の平和記念碑です。第二次世界大戦の南太平洋での犠牲者を追悼するため1980年に建立されました。天井のレリーフにはラバウルの位置に丸い穴があり、太陽の光が差し込むようになっています。火山の爆発で灰を冠りましたが現在は整理がされています。


左の写真は「ヤマモトバンカー」と呼ばれています。火山の噴火前には戦争博物館でしたが、今は灰に埋もれているため、南東方面作戦地図が壁に書かれた部屋を見るのみです。戦時中は海軍司令部草鹿参謀長が滞在していました。山本五十六元帥がブーゲンビル島で撃墜される数日前ここに滞在していました。


ラバウルの町にはいたるところに日本軍の掘ったトンネルが数多くみられ、その延長は50kmにも及ぶと言われています。連合軍の空爆を逃れ、兵士達はトンネルでの生活を強いられました。


ガゼル半島北端の海岸線は数百メートルも一気に落ち込んでいて、旧日本軍はここを潜水艦の供給基地として利用していました。海からの風が常に強く吹いています。絶壁の頂上には見張り台と砲台が残されています。


絶え間なく噴煙を上げているのが「ダブルブル火山」で1994年に大噴火してラバウルの町大部分が廃墟となりました。火山観測所が事前に警告を発令し、死傷者は数名に留まったそうです。火山に面した海岸は硫黄臭が漂い、砂浜からあぶくが立ち温泉が湧いています。戦時中兵士もこの火山の煙を見ながら温泉に入ったとの事です。当時、この火山は花吹山と名づけられていました

ウエワク

ウエワクは日本軍第18軍の軍組織としての最後の拠点となったところです。日本軍はここを最後にニューギニア島から全軍を撤収しました。ニューギニア全土で戦没された犠牲者の為、日本国政府により碑が建立されています。右の建物は日本国政府が立てた「苑」の建物です。屋根の老朽化が進んでいます。厚生省では近々修理を予定しているそうです。(2009年現在)2014年7月、安倍首相は、日本の首相として初めてパプアニューギニアを訪問しました。その機会にこのウエワクの日本政府の碑を訪れ、戦没した将兵を慰霊しました。


右はミッションヒルにある「碑」です。戦友会によって建てられています


ウエワクからミッションヒルへの道路わきにも、旧日本軍が使った対空砲の残骸が残されています。


アイタペ

旅客機の中・上空から見ている
「アイタペ」です。昭和18年初めに激しいし戦闘が繰り広げられました。飛行機に我々日本の慰霊団が乗っていることを聞いたニューギニア航空の機長は1時間余り遅れていたにも関わらず、操縦するジェット機をかなり低空にアイタペの上空を飛んでくれました。他の乗客は「びっくりしたよ。こんなに低空で飛んだ事は今までにないよ」と話していました。

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